ろじうら小道

日々のつれづれ。

映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を観てきてしまった【ネタバレ有】

観てきました、映画『ドラゴンクエストユア・ストーリー』。

鑑賞前はブログにネタバレなしの軽いレビュー記事でも上げようかなと思ってたんですが、これは感想書くにあたってネタバレなしとか到底無理!

と言うわけでがっつりネタバレしてるので、これから観る予定の方は注意してください。まぁ正直、ドラクエ愛やゲーム愛の強い方には、映画もこの記事も見るのをオススメしませんが……。


以下、注意点です。

核心部分のネタバレあり(観てること前提に書いてます)

・相当辛口です(ほぼラストに対して)

・原作ドラクエV好きによる完全なる主観記事(故に恐らく公平性、客観性を欠いてる)

・長文(8000文字超)

 
この映画を観て楽しめた人に対してまで水を差す気はないので、もしそういう方が居たらこの辺りでお帰りいただいた方がいいと思います。

一晩寝かせて感情的に書きすぎた部分バッサリ削ったけど、酷評していることに変わりはないので……。

そして無駄に長くなってしまったので、お急ぎの方は下の目次から最後のまとめまで飛んでもらえればと思います。


鳥山絵じゃないとか、原作端折り&改変しすぎとか、本職の声優少な過ぎとか、そんなことはもはや些細なことだと感じます(娘の存在消されたのは割とショックだったけど)。

巷で散々言われているように、やはり問題はラストの展開でした。


鑑賞後の感想としては、例えるなら「チケット買って某夢の国に遊びに来たのに、帰り際唐突に政見放送を流されてそのまま閉園になった感じ」。せっかく魔法にかかりに来たのに最悪な形で現実に引き戻されて興醒めしたというか。

ラストの急展開っぷりには「は?????」という気持ちしか湧いてこなかったです。

 

 

ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を観て感じたこと

私は映画に詳しいわけではありません。あくまで一ドラクエファンとしてこの感想を書いています。


ドラゴンクエストVという作品。

私にとって生まれて初めてプレイしたテレビゲームです。以後SFCのアダプタが壊れるまで何度も繰り返しその物語に浸り、DS、PS2で出たリメイク版も全て遊んできました。今でも「時折読み返したくなる小説」のような存在です。

幼稚園時代、この作品のおかげで字を覚え、東西南北の概念を学び、RPGとは、仲間とはどういうものかを知りました。そういう意味で、私にとってはドラクエの中でも他のナンバリング作品(X以外は既プレイ)とは違う、唯一無二の存在になっています。懐古厨と言われようが、自分が一番初めに触れたドラクエが一番好きなんだ。


その時点で、「私にとっては」どんなメディアミックスがされようと原作を超えることは不可能なわけですが、それでも新しい媒体での露出によって新規にドラクエVを好きになってくれる人が増えるのはファンとして喜ばしいことだし、何より「見もせずに批判するのはいただけない」という気持ちもあって、劇場に足を運んだわけです。

なるべくフラットな状態で観たかったので、予告動画等の公式情報以外は遮断し、世間の評判とかも見ずに出かけたんですが、過去に戻れるなら全力であの時の自分を止めたい。


原作モノは実写化でも何でも大抵の場合(観客の原作への思い入れが強ければ特に)コレジャナイ作品が出来上がってくる、それはその手の作品の宿命だと思っているので、その辺りの覚悟はしていました。

V本編のストーリーを100分かそこらでまとめきるのは初めから無理があるので、相当削られた部分があるはず。そうなると前後の整合性をとるために色々と設定が弄られてる可能性もあるけど、最悪、改変の仕方が肌に合わなくても「ドラクエ音楽が楽しめれば良いやー」位までハードルを下げて行ったんです。

実際には、そのフィールドでハードル走なんて行われていなかったのだけれど。

 
私は勘違いをしていました。

ドラゴンクエストユア・ストーリー』という映画が、ゲーム「ドラゴンクエストV本編のストーリーを映画化したもの」であると。ドラクエVの世界を表現しようとして作られた映画なのだと。

映画のあらすじや予告動画の内容から、そうに違いないと思い込み、それを期待していました。

でも違った。

どんなにツギハギだらけだったとしても「ドラクエ映画」であることを望んでいたのに、その100分はほぼ丸々「他人のドラクエプレイ動画を知らずに見せられていた」状態だった。

それなら「そういう映画」であることを最初に明示してくれていれば、また違った心持ちで鑑賞出来たはずなのに。

 
断っておきたいのは、私は別に批判がしたくて映画を観に行ったわけではない、ということです。上映前は、観るからには楽しみたいけど、ガッカリ作品だったらそれはそれで思い出になるよね、くらいの心持ちでした。

「何であのシーンを飛ばしちゃうかなー」「そのセリフ改変はちょっと……」みたいな愚痴を言いたくなったとしても、ドラクエの世界に浸れる100分であって欲しかった。たとえ絶賛出来なくても、「それでもココは良かった」と良い所を見つけて「ドラクエ映画」として評価--したかった。本当は。

 

観終わった今となっては、そんな気持ちには到底なれそうもないです。

ガッカリ?

いや、

意味が分からない、というのが本音です。

ラストにあのオチを持ってくる意味が分からない。

ああいう展開にする事で誰がどんな風に得をするの?

商業作品である以上、ある程度観客のニーズを汲んで作るべきなのでは?

映画化するにあたって、予算や尺の都合、技術的な問題等々で視聴者の期待していたものとズレが生まれるのは仕方ない。それでも最低限、その期待に近づける努力はするべきだと思う。

それとも、アレが観客の望んだ形だとでも?

 
は?????


率直に言って、やってはいけないことをやってくれちゃったな、と思った。

 
自分の主義主張を展開し、独自のカラーを出したいのであれば、完全なオリジナル作品の中でやればいいと思う。

例えばエヴァのように、監督がオリジナル作品の中で自らセカイの破壊を試みたのなら、それは別に構わない。

しかし、わざわざドラゴンクエストというコンテンツを犠牲にして、それをやる必要性がどこにあるというのでしょうか。原作側の人間はよくこれでOK出せたな?


あんな奇をてらったラストにしなくても、ゲマを倒してハイちゃんちゃん、という終わり方にしておけば、作品全体の評価としては凡作〜佳作の間には入れたと思うのに。

CGは頑張ってたし、戦闘シーンは良く出来てた。

私は元々生粋のビアンカ派だけど、映画版のフローラはとても魅力的に描かれていたと思う。途中までの流れだったら、フローラルートでもそんなに違和感なかったんじゃないかな。悪名高きいたストのフローラが黒なら、こちらは真っ白で可愛かった。 


それも全て虚構だけど。

 
製作陣は、自らのそれまでの努力を水泡に帰すようなシナリオで、虚しくならないんだろうか。

創作している人間が、創作物(フィクション)を馬鹿にして、悲しくならないんだろうか。

ゲームに限らず、映画も、漫画も、文学も、全てのフィクション作品は虚構で成り立っていて、受け手はそれを十二分に分かった上で世界観に浸っている。その虚構を楽しんでいる。ドラクエのようなファンタジー作品は特にそれが顕著で、現実とは違うその世界を、違うと分かっていて尚愛している人が沢山いるわけですよね。

それなのに作り手側の人間がなぜあえてそれを否定し、冷水を浴びせる必要があるのか、私にはそれが分かりませんでした。

例えばですが、

某夢の国で○ッキーに会えて喜んでる人に対して「いい歳して恥ずかしくないの?ガキかよ」とか言っちゃう人は「大人」ですか?

私の目には、空気の読めない未成熟な人間に映ります。別に相手をガキだと思うのならそれでもいい。でもそれをわざわざ本人の目の前で喧伝する必要がありますか?

他人の趣味嗜好を貶めてマウントを取るなんて、いい大人がすべきことではない。ましてや、夢を提供する側の人間が、他人の夢を否定するなんていうのは全くもってナンセンスだと思います。

 

大切なのはリスペクト

この映画には、根本的に他者への敬意が欠如していると感じられる点が散見されました。

あらゆる創作物は、元になった/着想を得たものがある場合、その原典に対する十分な理解と敬意を持って形作られるべきだと思います。たとえどんなに優れた技術が用いられたものだとしても、元ネタに対するリスペクトが感じられないのであれば、私は受け入れられない。

逆にクオリティが低い作品であっても、そこに愛が詰まっていると分かるものなら、寄り添って応援したいと思うでしょう。

ユア・ストーリーがどうかといえば、少なくとも私は原作へのリスペクトを感じられませんでした。それはストーリーの端折り方とか改変の仕方とか、解釈の違いで片付けられる問題のせいではなくて、やはり「ゲームの世界は嘘の世界」と切って捨てたその一点によってです。

解釈の違いどころか、解釈しようともしなかったんだな。

端から「ドラクエVの映画」を作る気なんて無かったんだな。

監督や脚本家にとって、あの世界は、キャラクター達は、敬愛すべき原点ではなく、単なる素材に過ぎなかったんだな。

そう感じました。


観客であるファンに対してもそうです。

喜ばそうと思うなら、あんな騙し討ちみたいな形でネタばらしする必要性がない。サプライズプレゼントというのは相手を喜ばすためにするものであって、驚かせるためにすることではない。

ただ驚かせるためだけに用意されたギミックを押し付けられても、こちらとしては呆然とする他ないんだ。

 

譲れない拘りとしてVRネタを使いたいのなら、ラストのどんでん返しではなく、端からそれを明示しておけば「そういう話」として別の視点から楽しめたかも知れないと思います。

あらすじでも予告動画でも「ドラクエVのストーリーを映画化」したと見せかけて、それを期待して行った観客を集めて、いざ最終盤で全部VRの世界でしたーなんて興を削ぐ仕打ち、あんまりじゃないですか。

 
これは大衆向けの娯楽映画なわけです。最後にカタルシスを得るためのミスリードなら良い。でも今回ユア・ストーリーがやったのはそうではなく、裏切り行為と受け取られても仕方ないことだと思います。

ちゃぶ台を返したいから返した、じゃ納得なんてできるわけがない。

 
記録映画ではなく、虚飾に満ちた娯楽作品を制作・提供している立場の人が、その娯楽を楽しみに来ている観客を前にして「作りモンにマジになってないで、いい加減大人になれ」なんて、盛大なブーメランを投げる意味がある?わざわざ、あの最終局面で⁇

やっぱり意味が分からないよ。

 
そして、小説版主人公の名前無断使用問題。

映画製作者サイドにもっと他の創作者に対する敬意があれば、不要な争いを生まずに済んだのではと思えてなりません。

 

ラストだけで映画の出来を決めるべきではない……か?

ラストのやらかしだけで全体の評価を決めるな、という意見も分かるんですよ。それが単に物語の「結末だけ」切り離して見れるような要素なら。どんなにご都合主義的展開でも、整合性が取れていなくても、伏線が回収し切れなくても、例えそれが目を覆いたくなるようなバッドエンドであったとしても。

物語の結末「それだけ」が気に入らないで済む話だったなら、「ラストだけで全体を語るな」という言い分は、なるほどごもっともだと思います。

でもね、違うんだ。

あのラストは、それまでの1時間何十分かで語られた物語全てを飲み込み、その全てを無に帰してしまったんです。

そこに至るまでの過程について評価したくても、あのオチが付いてしまったら、過程が全て無かったことになってしまう。

美しい景色も、魅力的なキャラクターも、手に汗握るアクションシーンも、全て「虚構である」ということを示すためだけに用意された素材だったのだから。

 
整合性という観点から言えば、VRオチは作中で感じた様々な違和感について半ば無理やりにでも辻褄を合わせることのできる、完璧な道具だったでしょう。

いくつもの修羅場を潜り抜けてきたにしてはやけに軽く感じる主人公の性格・言動も、

息子への接し方(親として心配しているような素ぶりがない)も、

唐突に繰り返された「クエスト」という用語も、

「じこあんじ」も、

冒頭のダイジェストも、

故意に用意されたor用意されていたわけではない大小様々な違和感を、全て消化してしまえる「だってVRゲームの中だから」というオチ。

曲がりなりにも感情移入してドラクエVの世界を冒険している気になっていたら、唐突に「他人のプレイ動画を見せられていた」ことが明かされるオチ。

Your story だと思ってたのにhis storyだったというオチ。


……そして更に最悪なのは、ネタばらしの後にとって付けたようなハッピーエンド紛いのエンディングをくっ付けられたことだった。

あのエンディングで救われたとか、納得出来たという人に対しては、純粋に羨ましく思います。そういう寛大な心で映画を楽しめたら、どんなにか良かっただろう。

残念ながら私はその境地に達せなかったので、ミルドラース(ウイルス)に向かって叫ぶリュカ(を操作してる人)の台詞に辟易し、アンチウイルスの設定には一周回って笑うことしか出来ないまま、スクリーン上では「彼の戦い」が幕を閉じていました。

そして先程までと寸分違わぬ優しい眼差しで微笑みかけてくれる妻と息子。こちらはもう、先刻と同じように彼らを見ることは出来ないのに。

何これ拷問かよ。

Continue your adventure じゃないよ。どうしてくれるんだ、この気持ちを。

 
個人的には、インパクトのある「大人になれよ」という台詞よりも、その後の無理やりな展開の方が見ていてイライラしました。

散々煽っておいて、「でもお前らどうせこういうのが好きなんだろ?ほら、ハッピーエンド(笑)にしてやるよ、感動しろよ」と言って再び偽りの夢の中に放り込まれ、逃げられたような感覚。

ウイルスに対してリュカ(の皮を被った青年)が「それでも僕にとっては大切なものなんだ!」とゲームに対する思いを叫び反撃、勝利するシーンがクライマックスとして描かれていますが、自分でもびっくりするくらい気持ちを動かされませんでした。

というか、この映画の観客にとってそんな事はわざわざ台詞で説明するまでもないことで、そこに尺を使うのならせめて「彼」にとって何故ゲームが大切だったのかをちゃんと描写するべきだったのではないか。

そうすればまだ「彼」に感情移入出来たかも知れないから。

観ている側からすれば「彼」はほんの数秒〜数分前にぽっと出てきた存在に過ぎないわけで、なぜゲームが好きなのかとか、ドラクエVのどんなところが好きなのかとか(好きな作品を体験するのに幼少期スキップなんてするだろうか?)、そういう背景も描かれていない。そんな人物に突然ファン代表のような立場で「大切なんだ」と語られても、説得力を感じられないわけで。

当然のことながら、ドラクエVという作品に触れてきた人達の中には各々のドラクエV観があり、それぞれに大切にしている事象や理由があると思う。だからその点について、自分の中のドラクエVとのズレがあっても、それは別に悪いことではない。「彼」にとって何故ドラクエが大切なのかが示されていれば、共感し、あるいは共に戦うことも出来たかも知れない--その時点でどうあがいても「ユア・ストーリー」では無いのだけど。


あのオチに拘泥し、それでも尚「ユア・ストーリー」だと言うのなら、「それでも僕/私にとってゲームは大切なもの」という主張は、ファンである観客に叫ばせればいい事だったと思う。「彼」の口からではなく。

 

だけど一応、脚本以外の評価点についても触れておく

CG

日本の3DCG映画として捉えた場合、好き嫌いは別としてグラフィックの出来は良かったと思う。スライムのぷるぷる感やブオーンのふもふした感じは好きです。

VRオチだからこそのキャラデザだったと考えると、鳥山先生の原作絵とかけ離れた雰囲気になっているのも致し方なしか。むしろ違っていて良かったと思うべきか。

アクション

戦闘シーンはテンポもよく、格好良く描かれていたと思います。魔法も原作プレイヤーにはおなじみのもので(逆にいえば未プレイの方には分かり辛いかも)、シリーズ中では比較的影の薄いバギ系呪文(原作V主人公にとって唯一の攻撃呪文)も上手く使われていると感じました。

音楽

映画館で観るにあたって、個人的に最も楽しみにしていたポイントでもある音楽。ドラクエ音楽っていいよね。

V以外の曲も結構使用されていた点については、直近の『ドラクエⅪ』とかスピンオフ作品とかでも既に過去曲ごちゃ混ぜパターンに出くわしているので、それほど気になりませんでした。どちらかというと、なるべく天空シリーズの曲でまとめようとしたのかな、と好意的に受け止めています。それなのにラストのウイルス撃退アイテムがロトのつるぎっぽい剣だった意味が分からないけど。

 

肯定的に捉えた場合

散々なことを書いておいて今更ですが、一応あのエンディングにファンを馬鹿にする意図は全くなく、本当に良いものを作ろうとした結果あそこに行き着いたのだ、という仮定でも考えてみました。

ファンを裏切るつもりはなく、むしろゲーオタに対して否定的な現実(ラスボス)を叩き斬ることでカタルシスを感じさせる作りだった、とする。

主人公の台詞についても他意はなく、純粋にファンの共感を呼び起こし、感動を誘う演出だった(一晩たって冷静に考えたら、この点については本当にそういう意図で作られていたような気がする)。

結論から言えば、この仮定の上で考えたとしても、結局のところ「観客のニーズを完璧に読み誤っている」としか言えないなと思いました。

ドラクエファンは別に、「ドラクエを楽しんでいる自分」を擁護して欲しくて劇場に足を運んだわけではないからです。極端な言い方をするならば、そういう現実の「自分」を限りなく無にして、異なる世界に没入していきたかったのです。

 

まぁでも、読み誤っていたのは仕方ないとしましょう。

全ての人を納得させられるような作品を作ることが無理である以上、一部の支持を犠牲にしてでも伝えたいことがあったのかも知れない。

 

―ー現実には心無いコトを言う人も居るよね、でもゲームが好きなことは恥ずかしいことじゃないんだ。たとえ虚構の世界でも、君にとっては大切なものなんだから。

 

この辺りのメッセージを伝えたいがための脚本だったとして、

今更そんなことを言うために100分間も他人のドラクエVRプレイを見せられてたの???ってことですよ。


ドラクエVが発売された1992年当時ならいざ知らず、ある程度多様性が認められるようになった令和の時代にもなって、他人の趣味を指差して嗤う方が偏狭な価値観だと笑われるでしょう。

そしてゲームという趣味は、もはや子供や、一部のオタクだけのものではありません。老若男女問わずスマホで、ゲーム機で、PCで、ゲームを楽しんでいる。

ましてや、国民的RPGと呼ばれて久しいドラゴンクエスト。長年、ガチのゲーマーというよりはライト層向け、つまりは広く一般に向けて売り出されてきたようなゲームです。

一般層に向けて「君がオタクだったとしても大丈夫だよ」と励ますのも「?」だし、ゲーオタからしても「はぁ?今更何言ってんの」という感じだし、前時代的な価値観を引きずっていながら「大丈夫大丈夫、君のことは理解しているよ」とか言って来られてもモニョるというか。

無理解なのが透けて見えるので、それなら別に理解してくれなくて良いから、上から目線ですり寄って来ないで放っておいてください、というのがオタク寄り思考の強い私の意見です。

 

まとめ

VRオチにした意味が分からない

・ウケると思った→客が何を求めているのか熟考してどうぞ

・独自性を出したかった→オリジナル作品でやってください

・意見の主張をしたかった→オリジナル作品で(ry

・結論:ドラクエでもユア・ストーリーでもなかった

 

以上です。長文・乱文で失礼しました。