丹頂ミクさんと行く都内の神社【今戸神社編】
タンチョウミクさんと一緒に今戸神社へ行ってきました。
この日はすでに浅草の鷲神社、吉原神社を参拝しています。その足で今戸神社へ向かいました。
沖田総司終焉の地、招き猫発祥の地としても知られている神社です。
境内には猫グッズが沢山ありました。オリジナルの御朱印帳や絵馬にも招き猫が描かれています。
イザナギ、イザナミ夫婦を祀っていることから、「えんむすび」の神社としても人気が高いそうです。
境内
手水舎です。取り囲む絵馬の数がすごい。
手水舎の中にも招き猫。
拝殿前の狛犬さん。
狛犬さんパート2。網越しなのが少し残念ですが、こちらの方が古く、台座に石工さんの名前が彫られていました。
立派な拝殿です。奥に沢山の招き猫が見えます。
スマホの設定を間違えて、写真が正方形になってしまったのが悔やまれる……。
絵馬とミクさん。
境内には多くの絵馬が奉納されていましたが、中には外国語の文章が書かれたものも散見されました。今戸神社の人気の高さがうかがえます。
「沖田総司終焉之地」の碑。
沖田総司は統治に居住していた御典医松本良順の治療にも拘わらず、その甲斐なく統治にて歿したと伝えられている
碑字は橘右近書
千駄ヶ谷(新宿区)にも沖田総司終焉の地があるそうなので、機会があったら訪れてみたいです。
沖田総司終焉之地碑の隣には、「今戸焼発祥の地」の石碑もありました。
ご由緒
当社は元今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平六年(一〇六三)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任、宗任を討伐の折今戸の地に到り、京都の岩清水八幡を鎌倉鶴ヶ岡八幡と浅草今津村(現今戸)に勧請しました。
應神天皇の母君神功皇后は新羅を始め三韓親征の際、時恰も天皇を宿されその帰路天皇を九州筑紫で誕生されました。従って應神天皇を別名胎中天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されております。
伊弉諾尊・伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比咩神社の御祭神にして、嘉吉元年(一四四一)千葉介胤直が自分の城内に勧請しました。諾冉二神は子孫の繁栄を与えられると共に縁結びの神と崇敬されております。
昭和十二年今戸八幡と合祀され今戸神社と改称されました。
今戸の地名は古くは武州豊島郡今津村と称し、その後今戸(別字今都)となりました。
基本情報
- 御祭神:應神天皇(おうじんてんのう)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、福禄寿
- 例祭日:6月の第1土曜日、日曜日
- 所在地:東京都台東区今戸1-5-22
- 備 考:浅草名所七福神、東京下町八社参りのうちの一社
公式サイト
御朱印
左下には福禄寿の姿も。
なお授与所には写真撮影NGの張り紙があったので撮影していませんが、オリジナルの御朱印帳(招き猫の絵柄)やお守りなどの授与品も豊富に並べられていました。
※御朱印をいただく際に伺ったところ境内は写真OKとのことでしたので、手水舎や拝殿など色々撮らせて貰っています。
アクセス
浅草線、銀座線「浅草駅」から徒歩約15~20分
おまけ
猫いっぱい(=^・ω・^=)。